- 淡路本町商店街について
About us
─ 
      淡路村の増島地区に、北大阪電気鉄道株式会社により東海道本線の廃線地区を一部利用し「淡路増島駅」がつくられた。
      
      6月7日、B29が飛来、空襲によって柴島水源地の沈殿池、送水ポンプ場や主要幹線もこわされ、市内全域の送水が止められた。終戦後、商店街がいち早く活気をおび、映画館やパチンコ店ができ、すさんだ人々の心に、生きる勇気の灯をつけ、「人情豊かな庶民の街」として、今日の基をつくりあげた。
    
      阪急淡路駅西の商店街が主催して、歌謡コンクールや盆踊りが行われ、鈴蘭灯もつき、終戦後としては賑やかな通りとなった。
      50年に近代的な電動アーケードが完成、55年にはカラー舗装が完成し、「ついたちバーゲン」を開始。以後、現在に至るまで、定例となる。56年に商店街振興組合ビル完成し、近代的な商店街としての設備が整う。